平成13年1月29日私は3人目の男の子を出産しました。
2人目の出産から10年が経っていました。その前の年住み慣れた大阪から横浜へ引っ越したばかりで、親しいと言える友人も親戚もまわりにはいません。
実母も、姑も相次いで他界した後でした。
それでも3人目という事もあり、主人と上の子に協力してもらえば、なんとかなるさ!と思っていました。
3人目の出産は、管子分娩分娩の為、思いがけず一番苦しいものとなりました。
産後傷口の治りも悪く、鎮痛剤が切れるとじっとしていられないほどの痛みが一ヶ月以上続き痛みに耐えながらの夜中の授乳は痛みで座れず、立ったまま授乳する日が続きました。
子供の夜泣きも重なり夜はほとんど寝られませんでした。3ヶ月が過ぎても子供の夜泣きは治まらず、肉体的にも精神的にも追い詰められて行きました。
初めの一ヶ月何とか家族で協力して乗り越えようと、それぞれに分担を頼み、協力してもらい、生活を回そうとしました、しかし2ヶ月3ヶ月と経っても私の体力は回復せず夜泣きも続きました。
苦しい日々が過ぎるに連れ、初めは協力的だった子供も、様子が変わってきました、また唯一の協力者の主人も仕事と家との両方で疲れ果て、検査入院が必要な状態になってしまいました。
私は主人の病気の回復のための世話と先の心配なども重なり。心の底で悲鳴を上げているのを感じながら、自分を奮い立たせ家のことをこなそうと必死になりました。
特に主人の食事には子ども以上に気を使いました。この頃から家族をこんな状態にしているのは自分のせいだ。
という罪悪感がつよくなり。訳もなく涙が流れ止まらず。酷く気分が沈む日が増えていきました。
家族への罪悪感とは反対に、家事はどんどん出来なくなっていき、ボーっとして頭が働きません。
また何をするのも酷く面倒くさくて、そんな自分が嫌でたまりませんでした。今まで長男の嫁として主人の家族に少しは信頼されていると思って暮らしてきたのに、お盆や正月に帰ることが出来ない、来てもらっても、周りの些細な言葉に傷つき、落ち込みます。
こんな自分を周りはどう思うだろうと、ささやかな自信も、プライドも崩れ落ち、なんと役立たずな人間と、ますます自分を責めていきました。
何かおかしいと感じ、病院へも行って見ました。身体の体温調節ができなくなった時は、内科へ、めまいで起き上がれない時は、更年期障害か?と婦人科へ、また、心療内科へも行って見ました。結局自律神経失調症と言うことで、精神安定剤や、漢方薬などを処方されましたが、あまり変化はありませんでした。
そんな中、このカウンセリングに出会い、カウンセリングを受け、自分の辛くなる原因がわかり少しずつ、心が楽になって行くのを感じました。
ちょうどそのころNHKで九州医大の産婦人科での、産後の母親の為の精神的なケア及び産後鬱について、テレビで放映されていました。それを見て産後鬱の症状の経過が、私自身の辛かった症状とそっくりだと知りました。
今になり思い返してみて、あれは産後鬱だったのでは?とあらためて思います。あの時カウンセリングを受けていなければ、今自分はどうなっていただろうと、ふっと思います。健康な状態で世話をするのも大変な時期。
1番細やかな世話を必要とする時期です。自分の心身の不調でいっぱいいっぱいの状態、外にも出られない。続けば、放置虐待にも繋がりかねません・・あの時もっと自分の行動できる身近な場所に、こういう情報があったなら、もっと早く楽になれたかも知れないと感じました。
私のこの経験は、特別な事ではないと私は思います。大きな問題になってはいなくても、紙一重で苦しんでいる人は、山のようにいると思います。一日もはやく、産後鬱の知識とカウンセリングの事を適切な場所で伝え、カウンセリングをする場所を増やすことができれば、どれだけの苦しむ母、子が救われるかと思います。